戯言 価値について。追記
時計の価値について前回自分なりの考えをまとめてみましたが、先日ふとした事で、別の観点も見出したのでオマケとして。( ^ω^ )
仕事で疲れ果て、夜中にようやく落ち着きを取り戻し眠くなるまでの間、好きな時計をボケっと眺めていました。
その間何を考えていたかというと、一つ一つの細かなパーツを手作業で装飾し、エッジを磨き上げる光景や、この時計をデザインした人は何を想いイメージして創ったのかなどなど。
(*´ω`*)
実は少し前までは工業デザイナーとしてモノのデザインをしていました。
使う人達は、製品をなんとなくで使っているとおもいます。そもそもデザインしてるなんて意識さえしないでしょう。
ペンであろうが、醤油だろうが、路上で配られるポケットティッシュや、配る人のユニフォーム、輸送用のダンボール、そこに記載されている荷扱マークまでもが、全て誰かがデザインしているのです。
デザイン・榮久庵憲司
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/榮久庵憲司
私は創る側の人として、工業製品といえど
企業のアイデンティティ、製品の立ち位置、ブランディング、
使い易さ、他の製品との識別性や、誤使用防止、素材、配色
製造上の都合や、工場での作り易さ、製造国、安全性、廃棄されるまでの流れ、
法的及びその他要求事項やケアマークの配置、可読性、
海外で販売する製品は地域特性など
色々考えに考えて、関係者の意見も聞きながら、自分なりの意志も含め、与えられる短い時間の中で精一杯デザインしてきました。
様々な制約の中でようやく世に送り出した製品が誰かの、何かの役に立っていれば良いなといつも思っています。
そんな経験があるから、どんな物にもデザイナーが苦労して世に送り出してきた物の裏にはいろんな出来事があったのだろうと、つい想いを巡らせてしまうのです。
ほんと色々ありました。。
今は過ぎた事として冷静になれますが、問題が出た時は胃がキリキリ、頭はグルグル、冷や汗ダラダラでした💦
フォローしてくださった工場の方々や、営業部門の方々、関係した皆様への感謝の念は今も変わらないです。
そう考えると、絵画を見る時も画家がどのような心境、時代背景、境遇だったのか等いくつもの要素をからめて観ると、とても面白く観ることができます。
心情が読み取れた時はニヤッとしたりね。😊
工業製品とアートは別と考えていたけど、実はモノを生み出す事においては似たところがあるなと感じました。
だからボケっと時計を見ていても楽しいのかもしれないですね。
╰(*´︶`*)╯♡
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