hubsanのブログ

とりとめもなく時計をかき集めてます。気になるのはともかくポチッとな。買って溜息、買わずに後悔。
(-.-;)y-~~~

戯言 だって好きなんだもん

今回はちと時計ネタから離れます。

ネタが尽きたとか、

ち、ちゃいますから〜:(;゙゚'ω゚'):


ま、いっか。


電車に乗車中は新幹線や特急以外だと、パソコンを使う事が出来ないので、頭の中で進行中の仕事を整理したり、施策を考えたりするのですが、四六時中そんな事出来ないのが凡人であるあっし。😝


と、いいなごらこれを書いてるのは、出張で長時間の乗車中。スマホでポチポチと書いてます。気晴らしやね。


最初はザッとその日の仕事を頭の中で整理し、必要事項をメールで自分に送り、余った時間に色々思いを巡らせてみました。


ちょうど斜め前に高校生らしき女の子が乗降口の窓ガラスに映る自分を見ながら、せっせとポニーテールをお手入れ中。かわい〜なぁ。(o^^o)


変質者の気はありませんのでご安心を。w


そういえば、自分はこの年頃の頃どうだったかなと、はるか昔を振り返って見ました。(*≧∀≦*)


当時は高度成長時代。懐かしいですねー。長い不景気から少し明るさが見え隠れするようになってきたものの、まだ当時のようにはいかないものですね。


当時は少し背伸びしてジャケットを着込んでカッコつけたり、バンド組んだりして夜中に仲間と街を徘徊して公園や無人の駅でセッションしたり、バイク乗り回してコーナーでぶっ飛んだり。。アホですなぁ。w


でも楽しかったし、音楽もバイクも女の子も好きでした。(*^_^*)モテることはなかったけどな。。


ここを訪れてくれる方達のブログを拝見していると、恋愛真っ只中の方もいらっしゃいますねー。読んでいると、こんな気持ちを持ったのはいつだっけ?と苦笑いしたり、楽しく読んでいます。


今は妻子ある身なのであえてそこへ踏み込まないよう日々気を付けていますが、それが自然になると、忘れていたと表現するような状況になるのでしょうね。


しかーし!本当にそうなのか?


確かに押し殺している内に慣れはします。しかしながら、心底では違うと考えます。理性は人によって強さは様々なので絶対ではない事はわかりますが。


ま、自分は理性がやや弱い方ですけどね〜(๑˃̵ᴗ˂̵)


もしくは、好きの感情が他の人よりやや強いのかもしれません。かつ、やたらに守備範囲が広い!(◎_◎;)

広く浅くに、、いや、広くやや深くだな。


だから趣味の世界でもその片鱗が出てくるのかもしれません。


それまでは全く気にもしなかったのに、ある日突然意識しだしたら、ターゲットロックオン!

あとはガムシャラに首をツッコミ、それなりに深くハマって、次のターゲット?!が現れるまではハマり続けます。たいていは。


やっぱりアホだわ。。


でも、言わせて頂く。


そんな自分が大好きだ〜(//∇//)


物欲の権化、欲に取り憑かれた亡者、なんとでも言ってください。褒め言葉ととっておきます。


ホント救いようがないな。でも、すっきりした。


あ、そろそろ目的地なので、電車おりなきゃ。🚃


ではでは。

戯言 価値について。追記

時計の価値について前回自分なりの考えをまとめてみましたが、先日ふとした事で、別の観点も見出したのでオマケとして。( ^ω^ )


仕事で疲れ果て、夜中にようやく落ち着きを取り戻し眠くなるまでの間、好きな時計をボケっと眺めていました。


その間何を考えていたかというと、一つ一つの細かなパーツを手作業で装飾し、エッジを磨き上げる光景や、この時計をデザインした人は何を想いイメージして創ったのかなどなど。

(*´ω`*)




実は少し前までは工業デザイナーとしてモノのデザインをしていました。


使う人達は、製品をなんとなくで使っているとおもいます。そもそもデザインしてるなんて意識さえしないでしょう。


ペンであろうが、醤油だろうが、路上で配られるポケットティッシュや、配る人のユニフォーム、輸送用のダンボール、そこに記載されている荷扱マークまでもが、全て誰かがデザインしているのです。


デザイン・榮久庵憲司

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/榮久庵憲司



私は創る側の人として、工業製品といえど

企業のアイデンティティ、製品の立ち位置、ブランディング、

使い易さ、他の製品との識別性や、誤使用防止、素材、配色

製造上の都合や、工場での作り易さ、製造国、安全性、廃棄されるまでの流れ、

法的及びその他要求事項やケアマークの配置、可読性、

海外で販売する製品は地域特性など

色々考えに考えて、関係者の意見も聞きながら、自分なりの意志も含め、与えられる短い時間の中で精一杯デザインしてきました。


様々な制約の中でようやく世に送り出した製品が誰かの、何かの役に立っていれば良いなといつも思っています。


そんな経験があるから、どんな物にもデザイナーが苦労して世に送り出してきた物の裏にはいろんな出来事があったのだろうと、つい想いを巡らせてしまうのです。


ほんと色々ありました。。

今は過ぎた事として冷静になれますが、問題が出た時は胃がキリキリ、頭はグルグル、冷や汗ダラダラでした💦

フォローしてくださった工場の方々や、営業部門の方々、関係した皆様への感謝の念は今も変わらないです。


そう考えると、絵画を見る時も画家がどのような心境、時代背景、境遇だったのか等いくつもの要素をからめて観ると、とても面白く観ることができます。

心情が読み取れた時はニヤッとしたりね。😊

工業製品とアートは別と考えていたけど、実はモノを生み出す事においては似たところがあるなと感じました。


だからボケっと時計を見ていても楽しいのかもしれないですね。

╰(*´︶`*)╯♡

戯言 時計の価値

急に何なのですが、時計の価値って何だろうかと、ふと我に返る事があります。

( ˘ω˘ )


基本は単純に時刻を知るアイテムではありますが、趣味の対象となっているのが、どーにも頭を悩ませるのです。


自分の中で趣味という定義は、ただ単純にお金を出して買い集めるだけでは趣味として中途半端だと考えてます。

えらそーな事言ってすみません。。


集めるだけでは、そこに創意工夫や努力はなく、他人から与えられただけの物を、貴重なリソースを費やし、手元においておく。

そこで得られるのは多少の知識と僅かな経験でしょう。


そう考えると、時を知るためのアイテムの対価としては過剰ではないかと感じてしまい、何の価値に対し妥当性を見出してるのか、わからなくなるのです。


そんなこと言い出すと、宝石や、美術品、骨董品もにてるかもしれませんが。時計は工業製品ですしね(๑˃̵ᴗ˂̵)


こうやって書きながら自分なりに整理してみると、ただ集めるだけならただのコレクター。時計を含めて、あるいは基軸として装いを組み立てて、自己表現に必要なアイテムとすれば多少は趣味らしくなるのかな。


あとは、自分で時計を組み立てたり、修理まで出来るようになれば、いいのか。。いや、それはもう時計屋さんの領域ですね(ーー;)せいぜい電池交換までが自分のできる事。オーバーホールが出来るようになれば、維持費は節約できそうですが間違いなく壊す事になるでしょうw


話は元に戻って、時計に対する価値は

世間でも様々です。


ブランド自身であったり、デザイン、中の機械、使用されてる貴金属や、希少価値もありますね。


話が長くなりますが、面白い時計があります。


それはロレックスとチュードルです。


ロレックスは時計をあまり知らない人でもご存知の方が多いですね。


かたやチュードルは時計が好きなかた以外にはあまり一般的ではありません。


※詳しくは以下リンク先をご参照ください。銀座RASIN

http://www.rasin.co.jp/blog/omega/tudor-appeal/


チュードルはロレックスの外装に、中の機械を一般的な汎用機械に置き換えた廉価版ロレックスです。


こういうと偽物と誤解されそうですが、ベルトや、裏蓋、リューズにロレックスの刻印や王冠マークがついたまま販売されてました。文字盤は流石にチュードルの表記となってますが、パッと見には区別がつきにくい物もあります。

ちなみにですが日本ロレックスでチュードルのメンテナンスを受け付けているちゃんとした時計です。d(^_^o)



※引用 銀座RASINより


さて、ここで問題になるのは、この時計の価値はどこでしょうか?

本体外装がそのまま使われているという事は、ケースの性能が良いから、使われたのか?もしくは見栄え?

中の機械があまりにも高価だから価格を抑える為に、一般的な機械に置き換えたのか?

チュードルブランドにもかかわらず、ロレックスブランドの表記あちこちに残したのは、ロレックスブランドの信頼性を活かしたのか?


何処に価値を見出すかは、きっと人によって様々だとは思います。


だから一つだけの尺度で測れるものではないのかもしれません。


時計を通じて色々な事を考えるきっかけになった事が、自分なりの価値かもしれませんね。

(*^▽^*)